新横浜ラーメン博物館に創業メンバー復活出店!あの銘店をもう一度“94年組”始動

新横浜ラーメン博物館に創業メンバー出店!あの銘店をもう一度“94年組”始動

1994年3月6日、世界初となるラーメンのアミューズメントパークとして新横浜の地に誕生した「新横浜ラーメン博物館」。

現在、同館では30周年を迎える2024年へ向けた取り組みとして「あの銘店をもう一度」を実施中ですが、2022年11月7日(月)より新たなプロジェクト「あの銘店をもう一度“94年組”」がスタートします。

新プロジェクトでは、当時先例のない事業に対して出店を決断した創業時の8人が「94年当時の味の再現」をコンセプトに、約3ヶ月のリレー形式にて新横浜ラーメン博物館に復活するというものです。

あの銘店をもう一度“94年組”トップバッター

1994年創業のメンバーは、札幌「すみれ」、喜多方「大安食堂」、阿佐ヶ谷「げんこつ屋」、環七「野方ホープ」、目黒「支那そば 勝丸」、横浜「六角家」、博多「一風堂」、熊本「こむらさき※」の8店舗。※熊本「こむらさき」は現在も出店中

1994年創業メンバーの店主
1994年創業メンバーの店主

1990年3月にプロジェクトはスタートし、翌91年の5月には新横浜ラーメン博物館設立準備室を立ち上げ、約3年間かけ誘致交渉。1994年3月6日、世界初となるラーメンのアミューズメントパークとして新横浜ラーメン博物館はオープンしました。

開業前の新横浜。空地の手前部分がラー博建設場所(画像提供:奈良建設)
開業前の新横浜。空地の手前部分がラー博建設場所(画像提供:奈良建設)

当時の新横浜は空き地だらけで人はほとんど歩いておらず、ラーメンを食べるのに入場料がかかることに対して大きな反対があるなど誘致交渉は困難を極めた中、8人の決断によってオープンを迎え、今年で開業29年目を迎えます。

あの銘店をもう一度“94年組”のトップバッターには、ラーメン職人歴50年の集大成として引退に向けた最後の舞台として挑戦する目黒「支那そば勝丸」が出店。卒業から約20年、“94年組”として新横浜ラーメン博物館に戻ってきます。

1994年当時の目黒「支那そば 勝丸」の外観
1994年当時の目黒「支那そば 勝丸」の外観

当時の交渉記録によると「興味はあるが人員不足のため、出店するのであれば旗の台のお店を閉めて出店しなければならない。また失礼ですがこの手の詐欺も多いので慎重に考えたい」と書かれていたそう。

当時出店を決めた理由について、創業者の後藤氏は「岩岡さん(同館の館長)が何度も何度も足を運んでくれたのが一番の理由ですが、世界初のラーメンの博物館といのは、もしかしたら大きな話題になるではないかという期待もありました」と振り返ります。

目黒「支那そば 勝丸」創業者・後藤勝彦氏
目黒「支那そば 勝丸」創業者・後藤勝彦氏

支那そば勝丸の原点は煮干し。

マイワシ

今でこそ煮干しの濃い味というのは受け入れられていますが、30年前に出店した当時は「煮干しくさい」という声が多く、「マイワシ」から香りがマイルドな「カタクチイワシ」に変えて提供していました。

今回の出店では元々の「マイワシ」をふんだんに使用した94年創業当時の味わい「極上煮干しラーメン」を用意。従来は豚骨と野菜とカタクチイワシでダシを取りますが「マイワシ」の香りに負けないよう鶏を加えてスープを仕上げます。

支那そば勝丸

麺も創業から変わらない独特のちぢれを持つ麺を使用。具材はなると、メンマ、長ネギと昔ながらのシンプルなものを盛り合わせ、支那そば勝丸のラーメンに一番よく合う鹿児島県産の黒豚(もも肉)のチャーシューも堪能できます。

支那そば勝丸

店主・後藤氏は「煮干し本来の良さが伝わる、私らしいラーメンに仕上がっています。このラーメンは私の人生そのものです。ラーメン職人歴50年の集大成として、引退に向けた最後の舞台、是非皆様、足を運んでください。」と復活出店の意気込みを語ります。

目黒「支那そば勝丸」は、2022年11月7日(月)~2023年2月26日(日)の期間に出店予定です。以降は約3ヶ月のリレー形式で各店舗出店。

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※価格やメニューなど掲載情報はいずれも記事公開時のものです。記事内容は今後予告なく変更となる可能性もあるため、当時のものとして参考にしていただき、店舗・施設等にて必ず最新情報をご確認ください。

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