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新横浜ラーメン博物館に「名代ら~めん げんこつ屋1994」復活!あの銘店をもう一度“94年組”

新横浜ラーメン博物館に「名代ら~めん げんこつ屋1994」復活!あの銘店をもう一度“94年組”

新横浜ラーメン博物館は、30周年を迎える2024年へ向けた取り組みとして「あの銘店をもう一度」を開催中、2022年11月7日(月)からは1994年のラー博開業時の店舗が3ヶ月前後のリレー形式で出店する「あの銘店をもう一度“94年組”」をスタートしました。

第2弾の環七「野方ホープ」に続く、第3弾として「名代ら~めん げんこつ屋1994」が2023年7月20日(木)~10月22日(日)までの約3ヶ月、16年ぶりに復活出店します。

今回の出店では、創業者の子息である二代目・関川 匡仁氏(※)により“親父の志と味を伝える”という想いのもと、1994年当時の味を再現します。※匡仁の匡は「匚」に「玉」

名代ら~めん げんこつ屋1994について

1980年(昭和55年)4月、関川清氏が新高円寺駅にげんこつ屋を創業。

げんこつ屋

ラーメンを大衆食ではなく料理であると考えていた関川氏は、試行錯誤を重ね、鶏、豚、背脂、香味野菜などを約12時間煮込んで白濁させた白湯スープと、マグロ節と利尻昆布でとった和風スープをブレンドするWスープに辿り着きました。

スープを研究する関川氏(1989年撮影)

新横浜ラーメン博物館への出店の際も他の店舗同様に思うようには進まず、中でも最大の問題点は「セントラルキッチンが必要」であったこと。

それを受け、岩岡館長は新横浜にセントラルキッチンを作ることを約束し、これが決め手となり、同館への出店が決まりました。関川氏曰く「ここまでして私たちのお店を必要と考えてくれるのであれば是非その期待に応えたい」と思ったそうです。

ラー博店外観(1994年撮影)

ラー博店の店長として指名されたのは関川氏の長男である匡仁氏。関川氏の「新メニューの開発」という課題に対して「豪快ら~めん(塩)」をラー博出店を機に開発し、その後もげんこつ屋の2枚目の看板メニューとして人気を博しました。

豪快ら~めん(塩)

げんこつ屋は店舗拡大を目指して2000年2月13日をもってラー博を卒業し、最大17店舗を展開するまでに成長。その後、質の向上を目指して巨額の投資をするも回収が間に合わず「げんこつ屋」の歴史は27年で幕を下ろすこととなりました。

げんこつ屋が幕を閉じてから3年後、岩岡館長は匡仁氏にげんこつ屋の復活の話を持ちかけるも父親の域には達していないと一度は断られ、幾度となく匡仁氏を訪ねたある日「“げんこつ屋”の看板はまだ重いので“二代目げんこつ屋”としてなら出店を考えたい」との返事があり、2011年4月に“二代目げんこつ屋”として関川氏の味がラー博に復活しました(2019年2月11日に卒業)。

「二代目げんこつ屋」外観(2011年撮影)

今回のプロジェクト「あの銘店をもう一度」では、二代目ではなく「げんこつ屋」としての出店。げんこつ屋は2007年に幕を閉じているため、実に16年ぶりの復活です。

げんこつら~めん

創業以来の白湯スープに、げんこつ屋の代名詞“マグロ節”と利尻昆布からとった和風スープをブレンドした、関川氏が編み出した料理としてのスープを使用。時代と共に量を減らした脂も今回は94年当時と同じように、スープに蓋をするくらいの量を使用します。

げんこつら~めん スープ

麺はソフトでもちもちとした食感の多加水麺を使用。

げんこつら~めん 麺

具材は王道のチャーシューにこだわり、豚の選定から調理方法、フレッシュさを大事にしながら作り上げます。

げんこつら~めん 具材

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※価格やメニューなど掲載情報はいずれも記事公開時のものです。記事内容は今後予告なく変更となる可能性もあるため、当時のものとして参考にしていただき、店舗・施設等にて必ず最新情報をご確認ください。

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