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新横浜ラーメン博物館に福岡・博多「ふくちゃんラーメン」復活!30周年企画あの銘店をもう一度

新横浜ラーメン博物館に福岡・博多「ふくちゃんラーメン」復活!30周年企画あの銘店をもう一度

新横浜ラーメン博物館は、30周年を迎える2024年へ向けた取り組みとして、過去に出店した約40店舗の銘店が2年間かけ、3週間のリレー形式で出店するプロジェクト「あの銘店をもう一度」を2022年7月にスタート。

今回は本プロジェクトの第21弾として、福岡・博多「ふくちゃんラーメン」が2023年8月29日(火)から9月18日(月)まで復活出店します。

同店は横浜ラーメン博物館に2004年8月から2009年11月までの期間に出店し、現在も博多から車で30分ほどかかる閑静な住宅街にも関わらず、連日行列が絶えない常連さんに愛され続ける銘店です。

福岡・博多「ふくちゃんラーメン」について

昭和50年8月1日、福岡県早良区百道に店舗を開業した創業者・福吉光男氏。開業後は多くの常連客で賑わったものの、昭和54年に福吉氏は病気にかかり、店を締めざるを得なくなりました。

ふくちゃんラーメン開店時の外観(1975年8月1日)
ふくちゃんラーメン開店時の外観(1975年8月1日)

その際、妻・千恵子さんの妹の主人である榊順伸氏に白羽の矢が立ち、ラーメン作りの経験が無かった順伸氏は、独学でラーメン作りを学び、ふくちゃんラーメンを引き継ぐこととなりました。その後、ふくちゃんラーメンの評判は「博多ラーメンの新興勢力」として口コミで広がり、長いときには1時間半もの待ち時間が出来る大繁盛店になりました。

二代目・榊 順伸氏(1993年撮影)
二代目・榊 順伸氏(1993年撮影)

繁盛に伴い行列が長くなると路上駐車による近隣からのクレームが増え、ラーメン作りに集中できなくなると考えたことから、博多から車で30分ほどかかる閑静な住宅街への移転を決断。

百道時代の外観(1993年撮影)
百道時代の外観(1993年撮影)

2003年1月、順伸氏が突如倒れたことから長男・伸一郎氏へと世代交代。父親の定位置に伸一郎氏が立ち始めて今年で20年の月日が経ちましたが、変わらぬその味を求め、連日常連さんで賑わっています。

田隈本店の行列(2004年撮影)
田隈本店の行列(2004年撮影)

2004年8月、次女(伸一郎氏の姉)の伸江氏がラー博店の店長として新横浜に行くことに決まり、ラー博10周年の年に、念願のふくちゃんラーメンがオープンすることになりました。今回の「あの銘店をもう一度」の出店においても、3週間の期間内、伸江氏が陣頭指揮を取って復活出店します。

ラー博店の行列
ラー博店の行列

同店のラーメンは豚頭のみを使用した、キレとコクを兼ね備えた臭みのないスープを使用。

ふくちゃんラーメン

タレは「濃い口醤油」と「うま口醤油」をブレンドし、和風素材や数10種類の香辛料を加えたものを使用。一般的な博多ラーメンと比べると醤油感を強く感じますが、ブレンドされた濃厚なスープが醤油感をマスキングし、絶妙な風味と味わいを醸し出します。

スープ

ふくちゃんラーメンの麺は昔ながらの博多の麺を使用。麺は低加水(小麦に加える水の量が少ない)のため、濃厚なスープを吸い込み相性は抜群です。

ニンニクをクラッシャー

紅生姜・高菜・擦り胡麻・生ニンニクなどの薬味がテーブルに置かれるスタイルは博多ラーメンの定番となっていますが、その中で生のニンニクをクラッシャーで潰して食べる方法を最初に取り入れたのはふくちゃんラーメンです。

ニンニク

あらかじめ擦ったニンニクでは風味がよくなく、フレッシュなものを食べてもらいたいという想いから、当時流通していなかったクラッシャーを探し、スイス製のレモン絞り機を見つけて使い始めたのです。

あの銘店をもう一度 概要

■ 期間
2022年7月1日(金)~約2年間(各店舗約3週間)

■ 店舗数
約40店舗(現店舗を除く)
※出店期間内、1階ギャラリーにて出店店舗の特設展示

■ 所在地
横浜市港北区新横浜2丁目14−21(施設概要

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