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新横浜ラーメン博物館に宮城・気仙沼「かもめ食堂」復活!30周年企画・あの銘店をもう一度

新横浜ラーメン博物館に福岡宮城・気仙沼「かもめ食堂」の“秋刀魚の香油”復活!あの銘店をもう一度

新横浜ラーメン博物館は、30周年を迎える2024年へ向けた取り組みとして、過去に出店した約40店舗の銘店が2年間かけ、3週間のリレー形式で出店するプロジェクト「あの銘店をもう一度」を2022年7月にスタートしました。

今回はそのプロジェクト第23弾として、宮城・気仙沼「かもめ食堂」が2023年10月3日(火)から同30日(月)まで出店します。※通常3週間の出店のところ4週間の出店

同店は新横浜ラーメン博物館に、東日本大震災の復興プロジェクトとして2012年2月から2015年4月まで復活出店し、卒業後は気仙沼に帰郷オープンし、現在は地元に愛されながら県外からも通う人も多い観光資源となっています。

宮城・気仙沼「かもめ食堂」について

1942年、気仙沼市南町で創業した老舗食堂「かもめ食堂」。

気仙沼にあった当時の「かもめ食堂」
気仙沼にあった当時の「かもめ食堂」

1955年頃からラーメンの提供を始めるとすぐに店の一番人気メニューとなり、地元客からも愛され続けていましたが、2006年4月、後継者不在を理由に惜しまれつつ閉店。2011年3月11日、東日本大震災の津波により店舗跡が全壊しました。

気仙沼にあった当時の「かもめ食堂」
気仙沼にあった当時の「かもめ食堂」

気仙沼で生まれ育った東京・葛西に本店を構えるラーメン店「ちばき屋」店主・千葉 憲二氏は、震災後に気仙沼を訪れ救援物資の運搬や炊き出しをするうちに「物資やお金の支援は重要であるが、この先、復興するためには希望や生きがいといった心の支援が最も重要である」と感じ、復興プランとして「かもめ食堂」の復活を計画。

震災後の「かもめ食堂」跡地
震災後の「かもめ食堂」跡地

千葉氏にとっても「かもめ食堂」は生まれて初めてラーメンを食べたお店で、故郷を感じる忘れられないお店であったことから復活を強く望むものの、被災地の復旧もままならない状況の中では建築制限もあり、すぐの復活は厳しいものでした。

そうした中、新横浜ラーメン博物館の岩岡洋志館長は「ラーメン博物館の中でのオープン」や「3年を目処に気仙沼に戻り店舗を構えて気仙沼のシンボルになること」を提案し、2012年2月に同館に復活。

ラー博出店時の「かもめ食堂」
ラー博出店時の「かもめ食堂」

新横浜ラーメン博物館の卒業後、2015年11月19日、震災発生から4年と8ヶ月、ついに念願の帰郷オープン。2017年には「ミシュランガイド宮城 2017 特別版」に掲載されるなど、帰郷から約8年が経過した現在も多くの地元客・近県からも多くの人々が訪れています。

気仙沼帰郷オープン当日の行列
気仙沼帰郷オープン当日の行列

同店のスープは魚介類を丸二日間塩漬けし、水、酒、昆布を合わせた特製のタレが決め手。鶏ガラをベースに煮干し、昆布を加えたダブルスープは気仙沼特産のサンマを使用した香油がアクセントになった、気仙沼の海を想わせる塩ラーメンです。

「かもめ食堂」のラーメン

麺はスープ・香油との一体感を強める中細の縮れ麺を採用。

半熟煮玉子を最初にラーメンに取り入れた千葉氏。岩手の郷土菓子「かもめの玉子」風に切った煮玉子は、昆布ダシに付け込み、ひと手間かかったものを使用します。

あの銘店をもう一度 概要

■ 期間
2022年7月1日(金)~約2年間(各店舗約3週間)

■ 店舗数
約40店舗(現店舗を除く)
※出店期間内、1階ギャラリーにて出店店舗の特設展示

■ 所在地
横浜市港北区新横浜2丁目14−21(施設概要

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※価格やメニューなど掲載情報はいずれも記事公開時のものです。記事内容は今後予告なく変更となる可能性もあるため、当時のものとして参考にしていただき、店舗・施設等にて必ず最新情報をご確認ください。

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